2019年05月16日

高野山・熊野古道参詣の山旅(2019年5月10日〜16日)  −Pilgrimage to the sacred sites, Koyasan through Kumano Kodo−

山岳会としては異色の山行ブログを掲載します。

 熊野古道は良く知られている世界遺産にして有名な観光スポットの一つであります。古くは平安時代に白河上皇も頻繁に参詣したことで知られ、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、および熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ) を熊野三山と称し、古代、日本各地から人々が聖地参詣に訪れたとされています。

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 これら、いわゆる熊野三山を巡ることに加えて、初日は南海電鉄九度山駅から高野山町石道(ちょういしみち)を経て高野山(こうやさん) まで上がることにしました。また高野山からは小辺路(こへち)を辿って熊野本宮大社に至り、更に小雲取越(こぐもとりごえ) および大雲取越(おおぐもとりごえ) を経て熊野那智大社を、加えて熊野の神々が最初に降臨したとされる新宮市・神倉神社(かみくらじんじゃ) のゴトビキ岩に参拝し、最後に熊野速玉大社を巡ることにしました。これらの行程を6泊7日で完了する予定です。

 メンバーは男2名、女性2名の総勢4名です。このメンバーは2014年7月に大雪山・旭岳からトムラウシを経由して富良野岳まで6日間かけてテント縦走したことのあるベテラン登山メンバーです。今回はテント泊も想定しているため、全員18キロ〜15キロのザックを背負っての歩行となり、連日7日間の苦行ともいえるルートを平均年齢67歳超の身体が耐えられるかどうか試練の山行になるでしょう。


第1日: 5月10日(金) 高野参詣道町石道「九度山駅〜高野山・壇上伽藍」
(晴れ)
 前日9日深夜に新宿駅南口を夜行バスで発って、翌10日早朝に難波・湊町(OCAT)に到着しました。そこから南海高野線の難波駅まで徒歩でおよそ20分。さらに1時間半ほど乗車して九度山駅に降り立つことができました。

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九度山駅にはトイレ、水、パンフレットなども常備されていて道標もしっかりと記してあるため道を間違うことはありません。慈尊院に向かう途中、真田幸村ゆかりの寺である真田庵に立ち寄りました。

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 高野山町石道の登山口は慈尊院から始まります。いきなり急な石の階段を登るとやがて通常の登山道となり、往時を想起させる道は一定の間隔で町石が立っていて現在地の目印としての役割を担っています。1時間ほどで展望台に到着します。ここから橋本市と紀ノ川を一望することができます。目の前の尾根伝いに目を移せば遠く高野山までもが一望できます。

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 六本杉峠を過ぎて30分ほど進むと二ツ鳥居が目の前に忽然と現れます。唐突に何のためかと訝ったのですが、後に調べてみると高野山町石道と丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) とを結ぶ参詣道で、合流地点に拝社の遥拝のために弘法大使が建立した鳥居とのことでした。

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 二ツ鳥居から2時間少々するといきなりR370の舗装道路に飛び出し、向いにはトイレと水の補給が可能な矢立茶屋です。前日に夜行バスで発って九度山駅を8:20に歩き始め、ここ矢立茶屋には13:40に到着。すでに5時間20分が経過しています。さすがに足がだるくなってきましたが高野山の大門はあと少しです。

 袈裟掛石を過ぎて30分ほどで再びR370と合流・横断し、更に1時間半ほどで忽然と色煌びやかな大門が現れます。厳しかった高野山までの道のりもこれで終わりを迎えるのだと思うと感動か安堵感からか全員が声を漏らします。夜行バスで寝不足のなか7時間半で漸く高野山にやってきました。あとは今夜の宿、宿坊「西禅院」まで15分ほど。最後の頑張りです。

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高野山大門

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 漸く辿り着いた高野山ですが、すでに午後4時をまわっています。急いで入浴を済ますと間もなく夕食の時間となり、周辺を散策するなどの時間を取ることはできませんでしたが、午後7時からライトアップされた美しい壇上伽藍を見物することができたのはラッキーでした。初日の歩行時間は約8時間25分でした。

 高野山は山の中に開かれた“町”を形成しており、大門から奥之院まで一見に値する価値ある建造物が数多く点在する地域です。それ故に今回の参詣の旅で悔いが残るのは高野山で十分な時間を取ることができなかったことでしょう。あと1日余裕を持って計画したいものです。

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第2日: 5月11日(土) 熊野参詣道「小辺路」を経て伯母子岳避難小屋
(晴れ)
 翌朝は、朝食前の30分ほどで勤行(ごんぎょう) に同席して朝食のあと、8:10西禅院を後にしました。この日も申し分ない晴天で歩行の意欲を掻き立てます。

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 今日はいよいよ熊野古道を小辺路(こへち) から辿ることになります。この山旅で最も苦行が予想される1日の始まりです。出だしで登山道を探すのに多少もたついたこともありますが、30分ほどで大滝口女人堂跡に着いて小辺路を正しく辿っていることが確認できました。

 ここからは暫くはなだらかな林道が続きます。丁石を過ぎて道は急に下降し始めて沢まで下ることになります。そして沢からは急激に登りとなり、道がなだらかになると大滝集落の最後の民家に到着します。畑仕事をしていたおばさんに尋ねると「我が家の土地に建っているトイレがそこにあるから使って」と親切に教えてくれました。さすが世界遺産に指定されているだけのことはあって、綺麗なトイレで水も汲むことができました。おばさん、ありがとうございました!併設の休憩舎でしばし休憩。

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 休憩舎から1時間強でR371(高野龍神スカイライン)と合流し、舗装されたスカイラインを20分ほど歩くが晴れていてとても暑い。やがて左手に水ケ峰への分岐を示す大きな案内板がありベンチで小休止することができました。R371から左にそれて10分ほど進むと水ケ峰です。ここは明治中期に最盛期を迎え、当時8軒の旅籠が軒を並べていたそうで、巡礼者の往来も頻繁であったとのことです。しかし昭和27年には廃村となり、現在は建物の石垣がところどころに残るのみとなっています。熊野古道を歩いてみると、このような旅籠跡が数多く点在していて往時から多くの人々が参詣に訪れていたことが分かります。

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 ここまで4時間弱かかっていますが、大股まではあと7.6Kmとなっています。ここからが遠いです。水ケ峰を後にしてしばらくすると再び舗装道路と合流して30分ほど進むと眺望のよい東屋があり、更に40分ほどで平辻への分岐があり石仏が目印となります。熊野古道はこのような石仏が各所にあり、往時から旅人の道標としていたのでしょう。

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 平辻からどんどん下りとなり50分ほどで川と合流して大股に到着します。トイレと水を調達することができます。また宿も何軒かあるようです。西禅院を8時10分に出発して、ここまで5時間40分がすでに経過しています。ここから更に伯母子岳の避難小屋まで上がるのかと思うと正直気が重いし足がだるくなります。

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 小休止のあと気を取り直して大股を後にするものの、集落からいきなり急登が始まります。加えて前日が宿坊泊りであったため、ザックの重量は水を持った分、却って足に重くのしかかることになります。1:15ほどして萱小屋跡避難小屋に到着。小屋は無人でしたが、水が小屋のすぐ脇を流れていて十分使用できます。1泊してみたい小屋でした。

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 登り道は桧峠、そして伯母子岳分岐へと続き私には真に苦行でした。途中、オーストラリアからやってきたという老夫婦と出会いましたが入山者も極めて少ないため、登山経験の少ない者にはお勧めできません。

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 伯母子岳分岐点の標識には、迂回路→「伯母子峠〜上西家跡の間で崩落しているため迂回路をご利用ください。」とあります。私たちは伯母子峠避難小屋に行きたいので山頂方面へは行かないで伯母子峠への道を選択しました。疲れもあり注意散漫であったかも知れませんが、前述の注意書きの意味を深く理解しないまま伯母子峠避難小屋に到着しました。時に午後4時50分で、今日の行動時間は8時間40分でした。

 小屋は見掛けより内部は過ごしやすく、8人〜10人は収容可能でトイレも右手に併設されています。ただし水はありません(三田谷方面に下った沢で入手できるとありましたが判然とません)。5月のGWは相当な登山者で溢れかえり、戸外で寝ている者もいたと後に聞くに至り、GWは避けてつくづくよかったと実感しました。幸い小屋は貸し切り状態でゆっくりと過ごすことができました。

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第3日: 5月12日(日) 伯母子峠避難小屋から十津川温泉
(晴れ)

 この先のルートについて昨日のうちに確認しておいたのですが、避難小屋から先に続く登山道と伯母子岳山頂へ向かう分岐点に、昨日あったものと同じ標識があり、ここから先(上西家跡方面)は登山道が途中崩落しているため通行できないので迂回路(伯母子岳山頂方面)を通るようにとありました。そこで昨日見た分岐点のサインの意味がようやく理解できました。つまり昨日見た標識は、伯母子峠(避難小屋)〜上西家跡までが崩落しているので、伯母子峠(避難小屋)を経由しないで上西家跡方面へ行く登山者は、伯母子岳山頂を経由して迂回路に入りなさいと、いうことでした。

 分かってみれば当然のことですが、避難小屋の周りをいくら探しても“迂回路”が見つからないのです。→で示された方向(伯母子岳山頂)に迂回路を探しながら登って行くと、伯母子岳の稜線に迂回路サインを見つけました。それによると山頂から南南東へ派生した尾根を下降し、崩落箇所を大きく迂回して上西家跡に行くことが分かりました。何とも分かりにくい“迂回路”案内でした。小屋から上西家跡まで1時間15分もかかってしまいました。今朝の出発時間を予定より1時間早くしたことで迂回路ロスをリカバリーできて本当に良かったと思いました。何と言っても今日は西中バス停で十津川温泉行きの14:02発のバスに乗らないと舗装道路を2時間も歩く羽目になってしまうのです。

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 上西家跡から三田谷橋まで基本、下り道。水ケ元茶屋跡、待平屋敷跡を経て長い尾根道を三田谷橋まで2:15ほど下ります。

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 三田谷橋から三浦口までは30分ほどアスファルト道を進みます。途中道が大きく右へカーブするとトイレと水場があり、更に三浦口で橋を渡るとすぐに急な登山道が始まります。35分ほど登ると吉村家跡に差し掛かります。一帯は防風林の杉の巨木が多く聳えています。

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 やがて40分ほどで“三十丁の水”に到着します。水の量は十分でとてもおいしい水です。三浦峠まで残すところ1時間ほどですが、昨日の苦闘がきいているのか足が重く峠まで相当に長く感じました。峠には立派なトイレと東屋がありしばし休憩しました。ここまで既に6時間余りを歩いたことになります。峠からは下り道で、10分ほど下ると水量の多い水場に出ます。ここで水を汲んで峠まで持って上がれば東屋でビバークも可能でしょう。

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 三浦峠からの下り道を進んでいくと、古矢倉跡、出店跡、そして矢倉観音堂に到着です。一人の巡礼者が休憩していました。服装がそれらしく、小さめのザックを持参していました。自らを“出たきり老人”と称し、これから三浦峠に上がるという。テントもガスコンロも持たずにアルファ米に水を注いで食事しているとのことでした。ただしアルファ米は4日も食べたら「飽きてしまった」と言っていました。これには呆れてしまいました。三浦峠にはビバークできる東屋とトイレがあり、水場は峠の10分ほど手前にあるので利用したらどうかと勧め私たちは先を急ぎました。矢倉観音堂から登山口のある舗装道路までは30分弱でした。ここから西中バス停までは考えていたより遠かったですが、バス停の自販機で全員ビールを買い乾杯するほどの時間はありました。

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 バスは時間どおりに午後2時2分に私たちを乗せて十津川温泉の「松乃家」へと向かいました。料金は550円でした。
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第4日: 5月13日(月) 十津川温泉から果無峠を経て熊野本宮大社
(晴れ夕方小雨)
 十津川温泉でゆっくりと温泉に浸かり疲れた身体が回復するものと思いきや、今日は4日目で老体は疲れが抜けていません。まあ、とにかく最難関のルートは終わりを告げて、今日はいよいよ熊野三山の一つ“熊野本宮大社”に足を踏み入れるのだと思うと力が湧いてきます。

 宿を7:20に出て柳本橋を渡り、案内板に導かれて凡そ20分ほどで果無峠(はてなしとおげ) への登山口に着きました。なんと、冷たい水がすごい勢いで湧いていました。ここで水補給をするべきですね。道はいきなり急登となりますが熊野古道の面影を残す素晴らしい山道が果無集落まで続いています。

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 30分ほどで果無集落に着きました。民家の一箇所に休憩用の縁側と水、そしてトイレが備えられていた。ありがとうございます!
集落といっても25分ほど登っていくと終わりになり再び登山口の案内があり、ここから果無峠への登りが始まります。

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 かつて旅籠があった山口茶屋跡を過ぎ、およそ1時間強で観音堂へ到着。更に少し上がると眺望の素晴らしい地点に着きます。息を飲むような眺望に全員しばし立ち止まりました。ここから果無峠までは案外長く感じましたが20分少々で峠に着きました。峠は眺望なし。風が吹いて寒いので長居はできずに早々と下りにかかりました。

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果無峠からは下山路となり、シャクナゲの群落が目に付くようになります。また赤茶色のアセビの新芽がシャクナゲとよく調和してとても美しいです。

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美しいシャクナゲの花。
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往時の姿をそのままに留めている古道。
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三十丁石と判読できます。
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 二十丁石を過ぎて10分ほどすると急に視界が開けて熊野川が一望できる地点に着きました。その先は新宮市ということですので、4日目にしてついにここまで来たかという感慨が胸に沸き起こってきました。この頃になると足元がやたら滑るのでよく観察をしてみると、名称は不明ですが樹木の葉が沢山落ちており滑る原因になっていたようです。しばらくは歩行に十分注意して進むことにしました。

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 三十丁石を過ぎても下り坂は続き、1時間もすると熊野川と並行して走るR168にいきなり降り立ちます。そこが八木尾(やきお) です。しかし案内板はあるもののトイレや道の駅「奥熊野古道ほんぐう」への案内が判然としないため、どちらに進むべきか困惑してしまいました。少なくとも下りた場所にトイレと道の駅の標識が欲しいところです。極めて不親切!おまけに果無峠から八木尾まで約2時間半もの間、トイレはまったくありませんでした。切羽詰まった状況の中、トイレへはR168を左折することが漸く分かったものの、探しながら登り坂を歩いていたせいか15〜20分ほどかかってしまいました。

 用を足して、さて道の駅へと思ったのですがトイレ周辺や八木尾バス停へ戻って探しても標識がないため方角が分かりません。全員で地図をよく確認したところ、八木尾バス停からR168を熊野川に沿って行くのだと気が付いて舗装された国道を30分ほど歩いて漸く道の駅にたどり着きました。時に午後2時、予定より大きく遅れてしまいましたが熊野の郷土料理であり名物の“めはり寿司”を注文して昼食としました。めはり寿司は握り飯を高菜の葉で包んだシンプルなもので、味は思ったほどではなく正直なところ期待外れでした。

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 道の駅で昼食をとり、1時間ほど休憩をしてから舗装道路を三軒茶屋跡へと向かいました。ここから先は中辺路(なかへち) ルートと合流するため巡礼者や外国人の観光客も増えて賑やかになるとともに、八木尾とは違い、案内標識等が完備していて間違うことはありませんでした。三軒茶屋跡にはトイレも併設されていました。やがて祓殿王子跡(はらいどおうじあと)、そして熊野本宮大社に到着しました。時に15:00で、十津川温泉の宿を発って7時間40分の行動でした。

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 熊野本宮大社へは、予定を大幅に遅れて到着したため本日の本宮大社および大斎原(おおゆのはら) 見物は中止して明日に変更することにしました。この後、バス・ターミナルに直行して湯の峰温泉へ向かうバスに乗車しました(約30分)。バスは多くの外国人で込み合っていました。湯の峰温泉は日本最古の温泉とされる山間の小さな温泉地です。最近NHKの情報番組「ブラタモリ」でも紹介されていました。ただし温泉の熱湯でゆで卵は作りませんでした。

夜半から雨となり翌日の天気が気にかかります。


第5日: 5月14日(火) 湯の峰温泉から小口「自然の森苦キャンプ場」へ
(曇りのち雨)

 朝になって雨は止んでいましたが、今日1日は芳しくない予報ですので雨が止んでいる午前中に熊野本宮大社ならびに大斎原を観光したあと、バスを利用して小和瀬そして小口「自然の森キャンプ場」に入ることに決定しました。したがって中辺路「小雲取越」を経由しての予定は割愛することになりました。

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[大斎原] かつて本宮が存在した所ですが明治期の大水害で辛うじて残った社殿を現在の場所に移築。したがって現在の大斎原には、大鳥居と建物の基礎であった石垣しか残っていません。
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熊野ではこのようなカラスの絵が目に付きます。地元では、この八咫烏(やたがらす)は神の使者として信じられているそうです。

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 時間の関係で、小口への直行便はないため、志古で乗換えとなりました。本宮大社前のバス・ターミナルでバスを待つ頃から雨が降り始め、志古バス停では本降りの雨となりました。志古のレストハウスのスタッフに次の小口行きのバス時刻を尋ねると、相当先になるのでタクシーで行くようアドバイスされました。とても親切でタクシー会社の電話番号を2つ教えてくれました。その内の1つが繋がって10分ほど待つとタクシーがやってきて私たちを小口へ運んでくれました。

 タクシーは、小口「自然の森キャンプ場」の受付前にタクシーを停めてくれましたので早速チェックインをしました。廃校を利用したというこの施設は、各教室がゲスト・ルームとなっていて、事前に予約すると誰でも利用できます。外国人の宿泊客が多く、彼らの交流のためか談笑室なども備えられています。

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廃校を利用した小口・自然の森キャンプ場。校門が在りし日の姿を物語っていました。

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古い民家が立ち並ぶ小口の家並。

 私たちはもちろんテント泊なのですが、まだ誰も張っていない元校庭だった芝生のどこに張ってもいいよと促され、比較的広い屋根付き炊事場のテーブルとイスを適当にアレンジしてテン場としました。おかげで午後から降り始めた雨に当たることなく快適な一夜を過ごすことができました。

 テント利用客も本棟にあるお風呂に入ることができます。午後3時から入浴できるということでしたが、3時少し前には入ることができました。快適、快適!そしてコインランドリーも自由に使用できるし洗剤もフリーなのはありがたいですね。ただし乾燥機は1回100円で利用することになりますが、数時間後には乾いた下着に手をとおすこともできます。使用料は、テント1張り1,000円と、利用者1名500円です。食料は徒歩5分ほどのところにグローサリー・ストアがあるので購入も可能です。

 私たちがテントを張り終えてしばらくすると外国人のオジサン二人組も到着して、私たちのテントを真似たのか、同じようにテーブルとイスをアレンジしてテント・スペースを確保していました。一人は日本語がとても堪能でした。

その晩も雨が降りっぱなしで、炊事場でテントを張って本当に良かったと実感しました。
小口「自然の森キャンプ場」は天国みたいなところです。ぜひもう一度泊まってみたいと思いました。


第6日: 5月15日(水) 小口「自然の森キャンプ場」から大雲取越を経て熊野那智大社へ
(午前中曇り時々雨、午後曇り後晴れ)
 明けて翌朝は、小降りになったもののなかなか雨は上がりません。朝食を済ませてテントを撤収し終えてもまだ止むことはありませんでした。昨日は一日休養にあてたので、今日は雨ごときにめげるわけにはいきません。諦めて小雨のなか6時に小口を後にしました。

 10分ほどで大雲取越の登山口に着きました。心配した空模様も時おり小雨が降る程度になり歩行に差し支えありませんでした。途中、円座石(わろうだいし)、楠ノ久保旅籠跡を過ぎると9時10分に胴切坂に差し掛かります。ここから道は急な登りとなって雨の中、越前峠への苦行が始まります。ここ大雲取越は、苔むした岩の階段が雨に濡れ、そこはかとない感じが漂っていました。また路傍に一人佇む古い石像も熊野古道の奥深い味を演出していました。

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往時の姿をそのままに留めている石畳の古道。
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10:30に漸く越前峠に到着しました。小口からすでに4時間半の行動です。
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 越前峠からは下り道で楽になると思っていたのですが、基本、ゆるい登りのようであり楽ではありません。そして石倉峠の手前から地蔵茶屋跡まで、伯母子峠のときのように“迂回路”があり+40分とのことで急に疲れが増してしまいました。雨脚が更に強くなった中、迂回路(林道)を1時間半ほど単々と歩いて地蔵茶屋跡に漸く到着しました。ここは休憩舎とトイレおよび自販機が設置されていて、多くの巡礼者が休んでいました。私たちも10分ほど休憩しました。

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 小口を発ってすでに6時間が経過しており足がだるくなってきましたが、気を取り直して歩き始めます。ここからしばらくは舗装道路を歩いたり、脇道の山道に入ったりを繰り返して1時間ほどで色川辻に差し掛かりました。そのとき大きな声で私たちを呼び止める声に気が付いて振り返ると、昨夜小口キャンプ場で共に過ごした二人ずれの外国人のオジサンさんでした。彼らは小口に荷物を置いて、今朝バスで那智大社まで入り小口に向けて私たちとは逆方向に縦走してきたのです。
しかしどうして左手の舗装された林道を歩いてきたのか不思議に思ったのですが、この先の登山口に設置された案内板を見て納得することになるのです。

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 標識は右手にとると那智大社、左にとると小口となっています。外国人のオジサンたちは左の舗装林道をこちらに上がってきたに違いないのです。

 色川辻からは山道を少し登り舟見茶屋跡、登立茶屋跡を経ておよそ1時間45分ほどで那智高原公園に至ります。広々とした公園で、トイレや大きな駐車場も併設されています。ここが小口方面への登山口で、私たちが下りてきた山道は左で、右側には舗装道路が続いています。同登山口には案内板が2つ掲げられていて、“崩落箇所があるため、大雲取越の地蔵茶屋から石倉峠は通行止め。また別の標識には“通常では地蔵茶屋から40分かかるルートですが、迂回路では60分かかります”となっています。
問題はこれら標識がこの場所にある必要性があるのか?ということでしょう。例の二人の外国人は、気の毒に、この登山道が通行止めになっていると誤解して、右手の舗装道路を延々と歩いて色川辻で私たちと遭遇したと思われます。通行止めなのは、地蔵茶屋〜石倉峠間なのです。

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 さて那智高原公園までくれば那智大社まであと少しかと思っていましたが、標識に従って公園を横切り歩くこと35分で漸く那智大社に到着です。大社に着いて嬉しいというより、これでもう歩かなくてよいと思うとホットするほうが大きかったです。時に午後3時20分で小口から9時間20分の行動です。

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とうとう那智大社までやってきました!
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70.jpg 那智大社本殿
71.jpg 護摩焚き
72.jpg 隣り合う、那智山青岸渡寺。
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 那智大社を見学したあとは、那智駅までバスで移動しました。すでに午後4時をまわっていて、当初予定していた三輪崎の高野坂へは立ち寄ることなく新宮駅行きの路線バスに乗車しました。このバスは、この晩ご厄介になる民宿「はしもと」の前を通ることが分かりとても助かりました。

この日も長い一日でした。宿に着いたのは午後6時をまわっていました。


第7日: 5月16日(木) 聖地・神倉神社と熊野速玉大社
(晴れ)
 本日で高野山・熊野参詣の山旅もいよいよ最終日を迎えることとなりました。熊野の神々も私たちを祝福してくれているかのように朝から晴天です。早めの食事を済ませ、午前7時に宿を出発しました。まずは熊野の神々が最初に降臨したといわれる御神体のゴトビキ岩のある神倉神社(かみくらじんじゃ)に徒歩で向かいます。道順は地図を見ながら勘を頼りに歩いていると、通学途中の地元の子供(小学6年生)が親切に案内をしてくれました。

 神社は鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられる538段の急な石段をいきなり登り始め、ゴトビキ岩まで導かれていきます。“ゴトビキ”とは熊野の方言でヒキガエルのことだそうです(岩を見れば納得します)。ここでは例年「お燈まつり」という若者主体の祭りがあり、白装束の男衆がたいまつを手に急な石段を駆け下りるというものです。極めて危険。実際、怪我人が出ることもあるということでした。

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神社入口から急な石段が続いています。ここで “二礼二拍手一礼” を済ませてから神社(山頂)へと向かいます。

75.jpg もうすぐゴトビキ岩

538段の石段は思っていたよりきつくはなく、20分も登ればゴトビキ岩のある神倉神社に立つことができます。神社からの眺めは素晴らしいです。
76.jpg ゴトビキ岩と神倉神社
 
77.jpg 眺望よし!

参拝を済ませてから同じ石段を下り神社を後にしました。最後は熊野三山の一つ、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)へと向かいます。神倉神社から道路標識に導かれて徒歩15分ほどで速玉大社に到着しました。

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79.jpg 神々が祀られている社殿

 速玉大社の参拝を終え、長かった私たちの高野山・熊野古道参詣の山旅も無事に終了することができました。総歩行距離 約104キロを7日間かけて歩きとおしたことになります。天候不調により第5日目の湯の峰温泉から小雲取越を経て小口に至るルートは断念することになってしまいましたが、このことが1日休養に充てることができて体力回復に役に立ったと思っています。

 今回の山旅は、雨量の多い地域にもかかわらず、比較的天候に恵まれてラッキーだったといえます。やはり天候の安定する5月で良かったし、GWを避けたことも良い選択でした。今回初めて熊野古道を歩いてみて多くの発見がありました。

 古くは熊野を目指して日本全国から多くの参詣者が訪れたとのことですが、熊野に至るルートとしては、@熊野古道紀伊路、A小辺路、B大峯奥駈道(おおみねおくがけどう)、C伊勢路、D中辺路(なかへち)、そしてE大辺路(おおへち)の6ルートが知られています。今回の高野山〜小辺路をつなぐルートもアップダウンが多く決して簡単なルートではないため訪れる巡礼者も極端に少なかったですが、恐らく大峯奥駈道も修験者の道として知られているようで相当な難ルートであろうと思われます。次回熊野に訪れることがあれば大峯奥駈道を歩いてみたいものです。

最後になりましたが、大雪山〜富良野岳縦走に同行していただいたメンバーの皆さま、熊野古道でも楽しい時間を共有することができました。感謝、感謝!

















posted by 相模AC at 20:35| Comment(0) | 活動報告
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