2019年11月10日

20年ぶりの高所登山−アマダブラム(6856m)登頂記

20年ぶりに高所登山に行く事になった。最後に登ったのはキルギスのレーニン峰だった。
その後、退職して自由に行ける身分にはなったが、それほど行きたいと思える山もなく、高所登山とは縁遠くなっていた。だがいくつか登りたい山は残っており、その一つがネパールのアマダブラム峰だった。
 在職中にもいくつかの登山をしたが、ネパールは夏がモンスーンと言うこともあり、休暇の関係で登りたくても行けない山域だった。また労山隊のG1にも参加したが、日数の長さの割に単調な登山で、もう少しクライミング的な登山をしたいと思っていた。
 M&Cの久保さんが計画中という話を聞き、参加させてもらえないか打診したらOKが出た。久保さんとは同じ神奈川労山とはいえ、お会いした事も無く若干不安だったがお世話になることにした。PA180124.JPG
 今回の登山で不安だったのは、やはり高所順応だった。久保さんは直前にペルーのアルパマヨに登って6000mまで順応してからの参加となるが、私は20年ぶり、かつ直前の高所といえば富士山を登るしかない。
そこで久保さんが使っているエージェントに、十分な日程を取ってくれるようお願いした。(カトマンズでの観光等は一切省略して、着いた翌日からルクラへ飛び、トレッキングを始める日程を提案)

カトマンズ−ルクラ−パクディン
 ところが、運悪く空港工事の関係で、ルクラ便はラムチョップからしか飛んでないとのことで、翌日にラムチョップまで車で5時間かけて走り宿泊、次の日にルクラへ飛ぶことができた。ルクラからはパクディンまで下り宿泊。
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パクディン−ナムチェバザール
パクディンからナムチェ(3440m)までは830mの登り。ゆっくりゆっくり焦らず歩く。
流石はエベレスト街道、トレッカー、ポーター、ロバ、ゾッキョ(ヤクと牛の雑種)が引っ切りなしに荷上げに通る。そのたびに歩を止め、休憩できて良いのだが・・・
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ナムチェで一日順応後、パンボチェへ
 ナムチェでは順応のため、エベレストビューホテルやテンジン像のある公園を散策。ビューホテルには三浦雄一郎のお父さんの敬三さんの銘板も設置されていたが、残念ながらエベレスト峰は見えず。
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パンボチェ−アマダブラムBC
パンボチェから一回BC(4650m)を往復して、翌日いよいよベースキャンプに入る。BCは広い台地状で上部から雪解けの水も流れている。ここには世界中からアマダムラムを登ろうとするクライマーが数百人滞在していた。また物資運搬のヘリも一日に数十回飛んでくる。BCは各エージェントごとにキッチンや各人の個人用テントを配置し、スマホのためのソーラーパネルも設置されていた。
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BCからC1(5800m)への順応
BCで一日休養後、C1へ順応に出かける。C1へは裏の丘を上がり、その裏の谷をトラバースして上がって行く。途中にハイキャンプ(5150m)があり、当初の案ではここも順応に使用する事になっていたはずだが、何故か素通りして更に上へ。C1はその上のアマダブラムの稜線が始まる岩稜帯の上に設置されていた。
正確にはあと少しでC1へ続くFIXロープまで行った所でBCへ下降、往復に9時間もかかってしまった。
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BCでの停滞
その後はBCで3日間ブラブラしていた。間に久保さんが歯痛でパンボチェに降りたりと事件はあったが、BCでのんびりと過ごす。また今後の登頂計画も話し合われ、この後はC1、C2と上がって翌日登頂の一発計画が提案される。これには順応のできていない私には無理である旨を伝えて、せめてC2をタッチした後、C1に戻り翌日C2、翌々日にアタックさせてもらうことにした。
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ヘリからBCへ降りてきたパラグライダー

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登頂へ向けてのプジャ(登山の安全をラマ僧に祈ってもらう儀式)

BCからC1へ
久保さんとペアを組むシェルパのチョンバ、私とチリン、ドイツ人と彼のシェルパの6人でC1へ上がる。(このドイツ人は何故か翌日下山してしまった。)C1の狭いテントで寝られない夜を過ごした。
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C1−C2−C1
C2までの長いユマーリングが続く、特にC2直下の壁は垂直で登るのに皆苦労して大渋滞だ。私はここで時間を喰いそうなので、久保さん達と別れて先に下に降りる。ここからはチリンと二人で行動。夕食にチリンが辛ラーメンを作ってくれた。
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C1からC2へ
C1からC2への高度差は200mしかない。それでも途中は切り立った岩稜帯で、降りてくる人もいるので順番待ちができる。おまけにC2直下の5.7も登る人、懸垂で降りる人で渋滞していた。C2には午後の早い時間につき今晩の出発まで仮眠とするが、今後のアタックのことや、周りの明るさで寝られない。すると突然久保さんとチョンバが現れ、アタックの途中からチョンバが寒くて登れないので引き返してきたと言う。これから下で仮眠してBCへ降りるので、できるだけ暖かい方が良いと言って、羽毛パンツを2枚貸してくれた。
我々もどうなるのだろうと思いながら、夕焼けのヒマラヤを眺めダラダラと過ごす。PA310297.JPG
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C2から酸素を吸って頂上へ
 頂上アタックは予定通り午後10時にヘッドランプを付けて出発した。真っ暗な中、目の前のFIXロープにユマールを次々と掛け替えながら登って行く。垂直あり、トラバースありの複雑なルートだが何も見えないので恐怖心も無い。C2へ一泊しただけの体は非常に重くなかなかペースもあがらない。順応ができていないのはあきらかだった。途中唯一fixのない平らな雪稜風(暗いので良く判らなかったが)の場所で、チリンにこの先は酸素を吸って登りたい旨を伝えてボンベをセットしてもらう。酸素を吸うのは初めてだが、それほど楽に歩けるという感じは無かった、しかし自分でボンベを背負ってもあまり重いと感じなかったのはやはり酸素のおかげかも知れない。ただマスクで口を覆うとその後夜明けで明るくなってからサングラスが曇って見えなくなるには参った。頂上雪壁に入ってから夜が明けた。それからも長い長い登行が続く、おまけに雪が締まって無くトレースの踏み跡が何度も崩れ、踏み固めながら登る。チリンに「上を見るな」(ラクがあると顔を直撃するからと言う。)と言われるが、頂上はまだかまだかと何度も見上げてしまう。ようやく上に人が立っている場所があり、そこが頂上だった。午前9時30分。11時間半の登高だった。明るくなる頃は良さそうだった天気もすっかり曇り、周りの景色は何も見えない。折角持ってきた「相模労山旗」を持ってチリンに証拠写真を撮ってもらいすぐさま下山にかかる(折角撮ってもらったはずなのに、デジカメには3枚の黒い闇が写って居た?)
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その後も雪交じりの中を、長い長い懸垂下降を繰り返しながら17時半にC2へ帰着した。
10-28.05 第一次頂上攻撃 チョンバ.JPG

C2−C1−BC
重い体をひきづってBちぇ降りて行くと、途中見覚えのある顔が上がってきた。なんと久保さんとチョンバである。BCで休養して再度アタックに登ってきたという。(その後2日後に、見事に登頂に成功。無風快晴で後ろのエベレストまで見渡せる天気だったそうである。諦めない情熱に脱帽。)
11-01.12 第二次頂上攻撃.JPG
久保さん達の頂上
11-02.02 頂上.JPG

長いようで短くもあったアマダブラム遠征であった。20年ぶりの高所、それも7000m近い山を本当に登れるのかという自らの疑心と戦いながらの山行だった。6400m(多分?)からは酸素を吸っての登頂ではあったが、それが今の自分の実力だろう。ユマーリングでの雪稜歩きに終始するヒマラヤよりは遙かに面白く冒険的な山ではあった。

<香取> 
posted by 相模AC at 07:03| Comment(0) | 活動報告